団結成の動機

工業デザイナーの21世紀の課題、について


ビクター・パパネクの様な非先進国も視野にいれた形での工業製品創出活動というものも自ら課して行く問題(「生きのびるためのデザイン」)として出てくる一方で、先進国内では、どうしても様々な生産手段等社会の諸条件に振り回され、各自の哲学と比べ不本意な創造活動も強制(誰に、ということではなく)されがちになる。

しかしそうであっても、その自らを取り巻く現象に流されず、またいたずらに現状への適応を拒否するのでもなく、あるときは淡々と、あるときは熱い衝動に突き動かされるような形で、デザインという行為のもつ可能性を最大限引き起こすよう、工学、理学、生理学、生態学、社会学、法学等、多様な分野の本質に幅広く興味をもち「いざ必要とあれば相手(クライアント)に対し出来る限り幅広く奥の深い(根拠を十分もつ)選択肢を示してやることが出来るよう常に備える」という意味で、自分を磨いて行かなくてはいけないだろう。

「情報が氾濫する」「モノが氾濫する」「金が余る」などといって世間の表面に出てくる「わかりやすい」現象の本質を見極め、もし資本主義というパラダイムから逃れられない企業がそのために自らを困らせているのなら、その無理をしている点を指摘し是正への手伝いをしてやるのも、やはり企業活動の上流から下流までを見渡すことが出来る立場にいる「デザイナー」の役割であろうと思う。

この点で特に、その「全体を俯瞰できる立場」から、資本主義の宿命ともいえる「目的と結果が一致しない」ことに果敢にアタックする意味で「状況の経時変化を見越したデザイン」というものが語られてきてもよいだろう。つまり時間軸を伴うデザインである。ここをマスターすることこそ、デザイナーが他分野の専門家達と共通の土壌で未来を語り合える接点であり、逆に(「De+sign(モノの本質を外に向かって示す)」という言葉を内にもつ)デザイナーでなければ示し得ない「将来像をストレートに語る切り口」でもあろう。

この役割を「デザイナー」が担うことを社会全般の共通認識として行ければ、(デザインという行為が一般的なものになるということを意味するから)始めて今度は逆に、在来の芸術系の学校を経由してきたデザイナー(=手が動くデザイナー)は芸術的分野、もしくは造形的分野についての専門性をより一層自覚(もしくは他との分別を図る結果と)して他分野の人達と連携し、自らの特性を最大限生かした業務に専念することが求められてくるだろう。

そのためにも、その道程にあるわれわれ近未来のデザイナーは、かかる状況にまで駒を進めることを夢見て、そのいった状況を育むべく(繰り返しになるが)哲学を深め、多くの学問の本質を掴み、他者と連係しながら広く仲間化(言うまでもなく「仲間化」とは社会の基底観念を共有し、将来像を描く根拠の次元を同じくするための「教育的学習的作業」のことである)の作業を続けて行かなければならない。この点が21世紀の工業デザイナーに(本業の中で、また本業と平行しながら)求められる課題ではないだろうか?

私たちは、このような意識を背景に、「時間軸を取り込んだデザイン」「経時変化を念頭に置いたデザイン」といったものの実践を通じてこういった着想が一般化して行くコトを求めて、この点を追及して行こう、と考えている。